労務事情2017年12月号掲載

[第2回] セクハラ問題について(1)
セクハラ問題の基本的な理解
これから3回にわたって、セクハラ問題を掘り下げていきます。
ここにおけるメインテーマは、セクハラのグレーゾーン問題に対する「さばき方」ですが、それを正しく理解し応用力を身に付けるために、以下のような段階を踏みます。
まず今回は、セクハラ問題をさばくための基礎として、セクハラという言葉の生い立ちと定義を再確認します。
次回では、セクハラの定義を深掘りしてセクハラ問題の全体像を明らかにし、さまざまな事例をとおして
あからさまなセクハラとグレーゾーン問題のそれぞれの内容を具体的に理解します。
そして3回の最後では、あからさまなセクハラとグレーゾーン問題のそれぞれのさばき方と予防法を示します。
セクハラという言葉の生い立ち
セクハラのグレーゾーン問題をさばくためには、セクハラの「定義」を正しく理解し、問題の本質を把握しておくことが必須ですが、その鍵はセクハラという言葉の生い立ちに埋まっています。
そこで、言葉の定義をみる前に、日本においてセクハラという言葉が何をきっかけに登場してきて、その後どのように使われてきたのかという生い立ちを振り返ってみます(図表)。
ここで念頭においていただきたいのが、第1回で述べた「言葉の武器化現象」です。
①ある言葉がつくられ、それが流行語となる。
② やがて、その流行語が何らかの言動を非難攻撃するための「言葉の武器」として使われるようになる。
③ それによって、それまで常識とされてきたことが非常識となり、あるいは、それまで問題とされていなかったことが非難の対象となる。
この視点から眺めると、ハラスメント問題の本質がよくわかります。
1.1989年「福岡出版社セクハラ事件」の提訴
この事件はいろいろな呼び方がされていますが、ここにおいては、事件名だけで内容がわかるので、この呼び名を使うことにします。
この事件(福岡地裁平4.4.16判決、労働判例607号6頁)の概要は以下のとおりです。
●福岡の出版社の女性編集者Aさんは、非正規社員として働いていたが、ほどなく正社員として採用された。
●Aさんは仕事もできたので、すぐに職場の中心的存在になった。
●それを快く思わない男性編集長B氏は、ことあるごとに「Aはふしだらで男付合いが激しい。水商売に向いている」などと周囲の者に言い触らし、Aさん本人にも、「おまえの異性交遊のために会社の取引先を失った、どうしてくれる?」などと嫌がらせ的発言を繰り返した。

●AさんはB氏の上司にあたる役員C氏に相談し、B氏の誹謗中傷をやめさせるよう要請し、C氏もなんとか事態を打開しようとして3者面談を何度か試みたが、AさんとB氏との関係が修復されることはなかった。そして最終的にAさんはC氏から、「直属の上司とうまくやっていけないのならば、勤め先を変えるしかないだろう」と言われた。
●Aさんは会社から任意退職を迫られ、それに応じるしかなかったが、退職後、このままですませたくないという思いから弁護士会に相談したところ、女性弁護士約19人による原告弁護団が組まれ、1989年8月、福岡地裁に対して、男性編集長B氏と勤め先であった出版社に対する損害賠償請求の訴えを起こした。
※ ちなみに、この裁判は1992年4月にAさん側の全面勝訴で結審した。
2. 1989年「セクシュアル・ハラスメント」が 流行語大賞に選出
この「福岡出版社セクハラ事件」は、日本におけるセクハラ裁判のリーディングケースだといわれています。
この裁判がきっかけとなって「セクシュアル・ハラスメント」という言葉が一気に流行語になり、「セクハラ」という省略形が生まれて定着したことも相まって、女性週刊誌、男性週刊誌などはもちろん、テレビのワイドショーや新聞各紙までもが、セクハラという言葉をセンセーショナルに取り上げました。その結果、「セクシュアル・ハラスメント」という言葉がこの年の流行語大賞の候補に選ばれました。
これが「言葉の武器化」の第1段階にあたります。
つまり、日本のビジネス界で「セクハラ」という言葉がつくられ、それが流行語となったのです。
3.1989~97年 事例蓄積の時代
1989年に「セクシュアル・ハラスメント」という言葉がこの年の流行語大賞の候補に選ばれてから1997年に男女雇用機会均等法が改正され、募集、採用、昇進など、女性差別の禁止および女性に対するセクハラ規定が整備されました(いわゆるセクハラ条項)。私は「事例蓄積の時代」と名付けています。そして、この「事例蓄積の時代」のなかにこそ、ハラスメント問題の本質を把握する鍵があるのです。
1989年に「セクシュアル・ハラスメント」が流行語大賞の候補に選ばれるまでの日本は、いわば男性中心社会でした。また、いわゆる下ネタのような性的話題も一種のジョークとして通用していた社会でした。 そのような時代、職場で男性の上司や先輩から強姦まがい、強制わいせつまがいの行為を受けた女性も大 勢いたと考えられますが、被害者となった女性の多くは、我慢したり泣寝入りするしかありませんでした。 また、下ネタを言い合って騒いでいる男性社員を見て、あるいは、男性社員から下ネタをいわれて、不快 感や反発感を持った女性も大勢いたと考えられますが、その当時はそのような不快感や反発感を口に出して言い表すことができない風潮でした。たとえ言い表すとしても「いやらしい」という感覚的な言葉しかなく、自分の気持ちを正当な主張として言い表す適切な 言葉がありませんでした。
そんななか、1989年になって「セクハラ」という言葉が生まれて流行語となりました。
男性の上司や先輩から強姦まがい、強制わいせつまがいの行為を受けた女性たちは、もう我慢も泣寝入りもすることなく、「セクハラ」という言葉で行為者を非難攻撃するようになりました。
下ネタを口にする男性社員に不快感や反発感を持っていた女性たちも、単に「いやらしい」という感覚だけではなく、「セクハラ」という言葉のおかげで、「職場で下ネタをいうのはよくないことだ」という正当な主張として言い表すことができるようになりました。 これが「言葉の武器化」の第2段階にあたります。つまり、「セクハラ」という言葉が性的な内容を含む言動を非難攻撃するための言葉の武器として使われるようになったのです。
「セクシュアル・ハラスメント」という言葉は、もともとは「セクシュアル」という英単語と「ハラスメント」という英単語が組み合わさった英熟語であり、 日本語に翻訳すると「性的な嫌がらせ」という意味になります。日本人はその「セクシュアル・ハラスメント」という英熟語から「セクハラ」という日本語をつくり、日本国内で一定の言動を非難攻撃するための言 葉の武器として使い始めたのです。
ただここで注意すべきことは、「セクハラ」という言葉の武器は盛んに使われるようになったけれども、「ある言動をセクハラとして非難攻撃できるためには どのような要件が必要か」という定義が確立されていなかったという事実です。
つまり、事例蓄積の時代では、セクハラという言葉を使いたい人が使いたいように解釈して使いたいように使えたのです。その結果、じつにさまざまなケースが「セクハラだ」と言われ、労基署や都道府県庁などの相談窓口、カウンセリング事務所、弁護士事務所等々に相談案件として持ち込まれ、裁判に持ち込まれたケースもたくさんありました。
それらのケースの典型例が、前述の強姦まがい、強制わいせつまがいの行為や下ネタを口にする行為など、嫌悪すべき性的内容を含むケースです。
また、それが発展して、嫌悪すべき性的内容を含むとはいえないものの、男女間のコミュニケーションのこじれが「セクハラだ」と言われる例も出てきました。 たとえば、以下のような相談案件のケースです。
● 職場で女性社員をおばさん呼ばわり、女の子呼ばわりするのはセクハラだと思います。
● 挨拶がてらに肩を揉むのはセクハラだと思います。
● 女性は職場の花だとか言うのはセクハラだと思います。
● 仕事が終わったあとに女性を飲食に誘うのはセクハラだと思います。
● お茶くみを女性社員の仕事にしているのはセクハラだと思います。
そしてさらに、セクハラという言葉の流行度合いが 進むにつれて、性的内容を含むとは考えにくいけれども「それってセクハラじゃないですか」と言われた ケースも増えていきました。 たとえば、私はハラスメント研修の受講者であるX社のA課長から、以下のケースのような話を聞いたことがあります。
【Episode3:評価面談】
以上が「言葉の武器化」の第3段階にあたります。 すなわち、それまで常識となっていた男性中心の考え方は非常識となり、それまで一種のジョークとして通用していた下ネタのような性的話題も通用しなくなったのです。さらに、「セクハラ」という言葉が浸透しきった結果、それまでなんら問題とされてこなかった言動も「セクハラだ」と言われるようになった のです。
セクハラの生い立ち
4.2007年 同条項の改正
こうして、事例蓄積の時代においてセクハラだといわれた膨大な数の事例が蓄積され、新たな事例が生じ続けたわけですが、前述のとおり、「ある言動をセクハラとして非難攻撃できるためにはどのような要件が 必要か」という定義が確立されていなかったために、 職場の労務管理において少なからぬ混乱が生じるようになりました。
そのような状況を受けて、セクハラの定義を確立する作業が始められました。まず、事例蓄積の時代において蓄積された膨大な事例を集め、同じ要素を持つものをパターン化しました。最もわかりやすいパターンは、主に男性上司がその地位を利用して、女性部下に対して性的関係を迫り、それを断られると、自分の立場を利用して相手の女性部下に不利益な労働条件を課 す、というケースでした。
次にわかりやすいパターンは、主に男性上司が性的 な言葉や話題などで特定の女性(同僚や部下)に対して嫌がらせをいうことにより、その女性に対して働きづらくするというものでした。
各パターンの共通要素が言葉と文章により要件としてまとめられ、前述のとおり、1997年の男女雇用機 会均等法の改正において初めて条文化されました。そしてその10年後、2007年の男女雇用機会均等法 の大改正の際にセクハラ条項も改訂(セクハラ規定を 男性にも適用)され、その条文が現在に至っているわ けです。
セクハラの定義の再確認
すでに男女雇用機会均等法11条1項のいわゆる 「セクハラ条項」を読んでいる人もいるかと思います が、いま一度確認のために、その全文を記載します。
この条文により、セクハラには2つのパターンがあるとされています。その名称と要件をわかりやすく整理すると、以下のとおりです。
●対価型セクハラ
要件
①職場においてある労働者に対して性的な言動が行われること。
②その労働者がそれに対して何らかの反応をするこ と。
③その反応によりその労働者が不利益な労働条件を押 しつけられること。
●環境型セクハラ
要件
①職場においてある労働者に対して性的な言動が行われること。
②その結果、その労働者の労働環境が害されること。
セクハラには2つのパターンがある
●環境型セクハラ
次に、重要な文言の解釈を整理しておきます。
⑴ 労働者
この定義のなかで、「労働者」という文言が繰り返し使われています。前述の「言葉の生い立ち」にあるとおり、最初のセクハラ条項は1997年の改正男女雇用機会均等法に設けられました。その最初の条文においては、「女性労働者」という5文字が使われていました。つまり、「セクハラは男性が加害者で女性が被害者」という図式を前提としていたのです。
「逆セク」という言葉を覚えている人もいらっしゃるのではないでしょうか。性的な嫌がらせは、なにも男性から女性に対してだけではなく、女性から男性に対する性的な嫌がらせや、女性上司が男性部下に対して性的関係を強要する事態もあったわけです。ところが、それをセクハラといえるかとなると、法律の条文が「セクハラは男性が加害者で女性が被害者」という図式を前提につくられているので、女性から男性に対する性的な嫌がらせはセクハラではない、セクハラの逆だ、逆セクだ、という具合に生まれてきた言葉なのです。
ところが、1997年にセクハラ条項が制定されてからも、女性から男性に対する性的な嫌がらせや女性上司が男性部下に対して性的関係を強要する事態はなくならず、もはや「セクハラは男性が加害者で女性が被害者」と言っていられない状況になりました。また、ハラスメントの本質、すなわち、「ハラスメントとは職場を維持していくうえであってはならない言動である」という観点からすれば、女性から男性に対する性的な嫌がらせや女性上司が男性部下に対して性的関係を強要する事態も、セクハラに含めるべきだとの考え方も支持されてきました。
その結果、2007年に改訂され、いま現在有効となっている条文においては、「女性労働者」の「女性」の
2文字が削除され、「労働者」の3文字になっているわけです。そして、女性から男性に対する性的な嫌がらせは、逆セクではなく正しいセクハラとなりました。「正しい」と言うと何か違和感がありますが、要は女性から男性に対する言動もセクハラになりうるということです。
しかし、それだけではありません。「労働者」とい う言葉には性別の要素が含まれていませんから、同性 同士の言動もセクハラになりうるということです。ま た、「労働者」という言葉には職制上の上下関係の要 素も含まれていませんから、上司から部下への言動だけではなく、同僚同士の言動や部下から上司への言動 もセクハラになりうるということです。
⑵ 職場
セクハラは、「職場」において行われる性的な言動 がベースになっています。
この「職場」という言葉は、単に物理的な事業所(事務所、会社の執務スペース)に限られず、業務の延長線上にあるとみなしうる場所も含むとされています。 したがって、たとえば、出張先の宿泊施設、会社行事の一環として行われた社員旅行の宴会の席、業務上必要とされた研修の帰途などは「職場」に含まれるとされます。この点に関して、筆者はある人から、以下のケースのような典型的なお話を聞きました。
【Episode4:パンツスーツ】

この場合、A氏とBさんは取引先の会議室にいたわけですが、そこはA氏とBさんの業務の延長線上の場所ですから、A氏の発言は「職場における性的言動」に該当すると判断され、一発でレッドカードとなりま す。
以上、セクハラという言葉の生い立ちと定義の再確認でした。次回は、今回の内容を踏まえたうえで、セ クハラの定義を深掘りして問題の全体像を明らかにし、さまざまな事例をとおしてあからさまなセクハラとグレーゾーン問題のそれぞれの内容を具体的に解説していきます。

アーサーアンダーセン、アンダーセンコンサルティング、リシュモンジャパン株式会社等の外資系企業の総務・法務部で契約書作成・レビューを中心とする企業法務業務に従事。その後、KPMGあずさビジネススクール株式会社で研修講師を務め、現在は株式会社インプレッション・ラーニングにおいてコンプライアンス、企業法務を中心とする講師を務める。主な著書として、 『現場で役立つ !ハンコ・契約書・印紙のトリセツ』『現場で役立つ !セクハラ・パワハラと言わせない部下指導』(日本経済新聞出版社)等。